恋人と別れた朝 /Z
※作品一覧はコチラです
そいつに気づいたのは、もうすっかり日ものぼりきった時間。
そいつがそこにいることに気がついて初めて、
自分が随分長い間、そこに座ったままでいたことに気がついた。
日のあたる、町外れの丘の上。
ここからなら、町の外へと続いていく長い長い道が、一番良く見えるから。
そいつが、話しかけてきた。
どうしたの、と、ただ一言。
見かけない顔をあやしんで名をたずねると
『Z』
とそいつはこたえた。
それは名前じゃなくて記号じゃないか、と言うと、
そうだね、と言って、そいつは柔らかく笑った。
あまりにやわらかい顔で笑うから、
なんだか照れくさいような、悲しいような、よくわからない気持ちになった。
しばらくうつむいて黙っていたけれど、
風が気持ちよく吹いてきて。
だから、話し始めた。
***************
この日の朝、
朝と言っても、まだ外も暗いような時間に、
真冬の時期でもあるまいに、冷え込む空気の中で
恋人と別れた。
この朝に別れが来ることは、その少し前からわかっていた。
恋人の口から聞かされていたから。
__両親の仕事の都合で、遠い、遠い町に行く。
__馬車に乗って、何日も何日もかかるような場所に。
__ずっとそこに住み続けるかはわからない。
__けれど、この町に戻ってくる予定もない。
恋人の行く町の名前も教えてもらった。
聞き覚えのない名前。
どんな場所なのか、想像もつかない。
自分も一緒に行く、とか
ここにいて、とか
口に出すのはなんとか堪えた。
自分は、もうまるっきりの子どもではなかったけれど、
自分の力で生きていけるほどにはまだ大人でもなかった。
なんとかしようと思えば、なんとかなったのかもしれないけれど、
まだできない、と思った時に、
もう、別れは決まったようなものだった。
一緒にいて何をするわけでもなく、
何か特別な出来事を乗り越えたわけでもなく、
それまでただ、一緒にいることが当たり前で、
隣にいるのが一番心地いいと、お互いに感じていた。
未来を約束したわけでもなかった。
でも、約束なんてする必要がないくらい、
ずっと一緒にいるのが当たり前なんだと思っていた。
暗い道を、二人で歩いた。
恋人を連れて行く馬車のやってくる、その場所まで。
道のりで、何を話したかは覚えていない。
何かポツポツとしゃべったことは覚えているけれど、
あとはとにかく、無言だったような気がする。
重い荷物を半分ずつ抱えて、
ただ、二人で歩いた。
来なければいいのに。
そう思い続けていたけれど、信じられないくらいに正確に
恋人を連れて行くその馬車はやってきた。
__じゃあ、行くね。
__元気でね。
また会おう、とは言えなかった。
恋人も言わなかった。
重い荷物を運び入れて、
最後に、恋人が乗る。
馬車の窓から半分だけ、顔をのぞかせる恋人。
泣いてはいない。
笑顔で、手を振っていた。
きっと一生懸命につくった笑顔だということがわかったから、
だから自分も、笑顔で手を振った。
馬車が走り始める。
物語のように、馬車を追う自分の姿を想像したけれど、
結局、それはしなかった。
一緒にいよう、と言えなかった最初の時に
きっともう、終わっていたんだと思った。
馬車が角の道を曲がって。
自然に、足が動きそうになったけれど、それでもまだ、そこに立ち尽くしたままでしかいられなかった。
やがて馬車の走る音も、消えた。
まだ日の上らないくらいの明け方の町は、
人の声も、鳥の声さえ聞こえなくて、無音の世界だ。
聞こえるのは、自分の呼吸の音だけ。
だから、自分は、___走った。
来た道を引き返し、
いつもは曲がらない道を曲がり、
ただひたすらに続く坂道を走って、のぼっていく。
走って、走って、走って、走って。
どんどん荒くなっていく自分の呼吸。
聞こえるのは、自分の呼吸の音だけ。
いつだって隣にいたはずの、隣で聞こえていたはずの
なんてことないはずの「声」が聞こえない。
もう聞くことができない。
それが怖かった。
だから、走った。
そうしてこの丘の上にたどり着いた。
この町で、一番遠くまで見通せる場所。
まだ、見えるかもしれない場所。
遠くの道に、馬車のような黒い小さな影が見えた。
それが本当にその馬車なのかどうかはわからなかったけれど、
お日様の方向に走っていくその影に、明るい陽がさした。
朝が来て、一日が始まったんだと、わかった。
もう恋人は、自分の手の届かないところに行ってしまったんだと、
初めて理解した。
(・・・・・・。)
その場に座り込んで、ずっと、道の向こうを眺めていた。
もう影すら見えない、明るい道の向こうを。
***************
また、風が吹いた。
自分ももう、行かないと。
『Z』に向かって、言った。
自分と恋人は、きっともう、2度と会うことはないだろう。
「一緒にいたい」と言えなかった最初の日に、自分はあきらめてしまったのだから。
奇跡が起きても、きっと会えない。
『Z』は最初の一言以外、一切の口を挟むことなく、ずっと話を聴いていた。
別に何かの反応を期待していたわけでもなかったから、
返事なんて待たずに立ち上がって、町に戻ろうとした。
「大丈夫、きっとまた会えるよ。」
その声に、振り返る。
無責任なことを言うな、と思ったけれど、それを言う前に『Z』は続ける。
「あきらめたのが原因なら、今から、諦めるのをやめたらいい。
奇跡なんて起きるか起こらないかはわからないけど、そんなものに頼る必要だってないよ。」
簡単に言うな、と思うと同時に、
でも、と思う自分がいた。
これから自分は大人になって、きっともっと、生きる力もつけて。
そうしたら。今日から諦めずにいたら。
いつか、会いにいけるだろうか。
会いにいって、その町にもう、いないとしても。
「会いたいなら、きっと、会える。いつか。」
また風が吹いて。
なんだか、世界が明るくなったような気がした。
胸が高鳴るのがわかった。
恋人の顔を思い出して、そしてそのとき、
初めて、涙を流した。
一緒にいたかった。
大好きだったんだ。本当に。
『Z』は少しだけ考えるようにして、それにね、と付け加える。
「奇跡だって、案外、やってくれるかもしれないよ。」
奇跡は諦めない人だけに味方してくれるって、教えてくれた人がいたんだ。
『Z』はそうも続ける。
そうかもしれない、と返した。
たぶんね、と『Z』は笑った。
それから、ひとつだけ、『Z』からこの町のことをきかれて、
いいや、と首を振ると、
「そうか・・・」とこたえて、『Z』は少しだけ悲しそうにまた、笑った。
「教えてくれて、ありがとう。」
それきり『Z』は、黙り込んだ。
自分も、ありがとう、とだけ言って、
そして、丘を降りた。
***************
__会いたい人がいるんだ。
ひとり丘に残った『Z」は、遠くの道を眺めながら、思い出す。
陽だまりのような、奇跡のような、その色。
長い間、自分を支えてくれていた。
遠い記憶。
もう、わずかにしか思い出せないけれど。
それは今でも、『Z』の希望の色だった。
わかるのは、『A』という記号だけ。
気づいてもらえる可能性は、拾い直した『Z』というかつての自分の記号だけ。
探すんだ。
絶対に。
少しだけ疲れて、『Z』はそこに寝転んだ。
草のにおいと、あたたかい陽が心地いい。
大丈夫。
まだ、諦めない。
だから、大丈夫。
そう、自分に言い聞かせながら、
『Z』は目を閉じた。
※作品一覧はコチラです
スポンサーサイト
Re: 星乃瑠璃 さま
- 2011/08/09(火) 23:32:43 |
- URL |
- 花舞小枝の春
- [ 編集 ]
この話は、ちょっとだけさわやか風味です・v・
それにしても、本当に、
懐かしいこの話を読んで下さって嬉しいです☆
このブログを始めることにしたきっかけの話ですし、ちょっと思い入れもひとしおなのです^^;
道のりはまだはじまったばかりですので、
どうぞゆったり、ご覧下さいませ*^^*
コメントありがとうございました♪