旅の空でいつか

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逃げる・3

  1. 2012/08/14(火) 22:21:12|
  2. ★完結★ 『逃げる黒』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
※作品一覧はコチラです


みなさまこんばんは、春です。
『逃げる黒』3話目です。
全5話だと、早くも折り返し地点なのですね^^;

 ※1話目はコチラです
 ※2話目はコチラです
 ※『ハミングライフ』はコチラあたりです


こんな流れの中で恐縮なのですが、先週、とてもとても嬉しいことがありました!!

先週の、土曜日のことです。
なななんと、私、
ゆささん と初めてお目見えしてしまいました……!
ぎゃーーーゆささん、ありがとうございました;_;!

私、
ぼぅっとしていて電車を乗り過ごす、という恥ずかしい失態をかまして遅刻しました。
本当にごめんなさい……。

ゆささん、友人のシャチ、私でお会いしたのですが
3人とも上橋菜穂子さんという作家さんが大好きで!!
『獣の奏者』(上橋菜穂子)文庫版での3・4巻の発売を記念して
語り合いましょう、という主旨だったのですが、
いや、いろいろ「こういうこと話したい」「あのことも話したい」みたいなもの用意もしていたのですが
あんまり話してなかったです・v・
楽しくて・v・!

まだ明るいうちからお会いしていたというのに、
カフェ→ご飯どころ→31→スタバ、と移動を重ね
気づけばスタバさんの閉店時間でした。
本当に楽しかったぁーーー!!

ずっとファンだったゆささんにお会いできて、私はしあわせものです*> <*
ゆささん、ありがとうございました*> <*
今後とも、どうぞよろしくお願いします!


ではでは
《続きを読む》よりおすすみください☆





***************


「あー、もう……わたしだってどっか逃げちゃいたいわよ」

そんな言葉が聞こえて、どきりとしてスーは振り返る。
振り返った先にいたのは、幼い子連れの女が2人。
20代の前半くらいらしい彼女たちは、
どうやら愚痴を言い合っているらしかった。

自分に向かって言われた言葉でないことがわかって、スーはなんとなく胸をなで下ろす。
しかし「逃げる」という言葉が出て来てしまったせいで、
2人の会話から耳を背けることができない。

スーは今、そこそこの大きさの街中のカフェバーにいる。
米食が中心の地方にあってこの店では、少し変わったメニューを出しているのが特徴だった。
昼は固めに焼いたパンにチーズやベーコンや野菜を挟んで焼いたサンドイッチと飲み物を、
夜はナッツや、煮立てたクリームで粉と卵とを練って固めたものを味付けした簡単な一品や、様々な地方から取り寄せた酒で作った飲み物をメインで出している。
昼はカフェがメインで、夜はバーがメインだ。
それらのメニューは、味付けにもちろん違いはあれど
スーが生まれ成人になる少し前まで育った国の料理と似ている。
この地方ではそれらのメニューは珍しく、
決して難しいものではないのだが、調理のできる人間の数は限られていた。
そのためこの店では、スーは調理の人手として重宝されていた。

筒型の竃の前で汗を流しながら、スーは客の会話に耳を向ける。

「わたしだってそうよー。もう、イヤになっちゃう」

逃げたい、と言った女の正面の女が同意して、言葉を続けた。

「うちの人もさ、毎日わたしが遊んでるみたいに言うんだもの。
 お前も少しは働きに出ろとか言ったその口で、
 もう1人、この子の弟だか妹だかが欲しいとか言うのよ。
 この子1人だって手が離せないっていうのに、何考えてるのかしら」

「そうなのよ!
 うちはさ、ほら相手の親とは同居してないから、まだいいけど。
 あなたのところ大変じゃない? たしかお養父さんお養母さんと一緒よね?」

「あぁ……お養父さんとお養母さんはね、でも、一緒に暮らしてるからか
 逆に気を使ってくれちゃってて、特に何も。
 でも自分の両親が気を使ってるのがわかってるせいか、
 夫がとにかく、うるさいのよ!」

「あーそのパターンかー。
 夫の両親もうちの両親も、一緒に暮らしてないからかしら……
 うちは、毎月手紙が届くのよ。次の孫はまだかーって。
 働け働けうるさいのは夫だけね。
 でもわたしが働きに出たところで、あの人がこの子の面倒みてくれるわけでもないし、家事やってくれるわけでもないし。どうしろって言うのよねぇ。
 だいたい、家でこの子の面倒見て、仕事から帰ってくれば夫の面倒も見て、
 それで仕事してないとか言える意味がわからないわよね。
 夫だって子どもじゃないんだから、自分のことくらい自分でできるでしょうに」

「そうそう。
 なぁーんにもしないくせに、子どもが何かしでかすとお前の躾がどうのとかね」

「時々ちょっと手伝ったくらいで“おれは家のこともやってるー”とかね」

「こんなんなるってわかってたらさー、結婚なんかしないで仕事続けてればよかったわ」

女たち2人は、次々に家族の愚痴を言い合いながら
器用に子どもをあやしている。
口から出てくるのは毒々しい文句ばかりだが、2人の子どもを見つめる視線は優しい。

「仕事してさ、結婚して子ども産んでってしてない人たちは、
 気楽でいいわよねぇ。自分の面倒だけ見てればいいんだもの」

「あら、でもそれはそれで寂しいかもしれないわよ?
 そうやって1人で死んでいくんでしょ?
 せっかく子ども産める身体なんだから、それ使わないで死んでくってのも
 どうかしらとも思うわよ?」

「あー、まぁそれはそうかもしれないわねぇ」

結婚はともかくとして、
子どもを産む、という機能を奪われた女性のことも、スーは知っている。
それはスーも少なからず世話になった女性で、
彼女にはそういう身体になった事情があったのだが、
そういう事情がなくとも、生まれつきそうした機能の備わっていない女性がいることも、スーは知っている。
だから女たちの愚痴は、聞いていて苦しかった。

女たちはその後もひとしきり愚痴を言い合い、
日が暮れる前の時間になるとそろって店を出た。
これから夕食の準備が始まるらしい。

女たちが出て行って、店も一度クローズした。
これから2時間ほどかけて、今度はディナータイムの営業を始めるための準備にかからなければならない。
不足している酒がないかの確認だとか、足りない乾きものの買い出しだとかに出かけ、帰ってくると
あたりはもう夕闇が落ちて来ていて、店の明かりの色も変わった。

夜の時間になると、店の雰囲気は変わる。
昼間は、子連れの女たちや老夫婦がテーブルにつくことの多かった店内には、
今度は仕事を終えた男たちが多く集まるようになり、
カウンター席を中心にして、少量でも酔える酒が飛ぶようにオーダーされ、男たちの体に消えていく。
店に集まる男たちの愚痴は、様々だった。
仕事の愚痴、妻の愚痴、反抗期を向かえた子どもの愚痴、伴侶の親の愚痴などがずらりと並び、
そこに時折、空気を読まないノロケ話が挟まれた。
いずれの人間も短時間で酔っぱらい、店を去っていく。
仕事の終わる時間にはそれぞれに違いがあるようで、店内は
席がうまるほどに混み合うこともないが、
手すきの時間がうまれるほどに暇になることもなかった。
合間の時間をうまく見つけなければ食事がとれない程度には忙しい。
この店で働き始めたころは、その合間を見つけるのに苦労して
スーは何度か夕食を取り損ねている。
最近ではもう、そんなこともなかったのだが
この日はどうにも忙しく、久々にスーも食事のタイミングをうまく見計らうことができなかった。
忙しい時間が過ぎて、日付の変わるころになるとパタっと客足が途絶えた。
これはいつものことだ。
その段になってから、オーナーに「今日はもうあがっていい」と言われた。
スーが食事をとれていなかったことに気づいて、
余り物を食べて帰ってもよいとも言われる。
食費を浮かせられるのは大歓迎で、スーは喜んで申し出を受けた。

店の指定服として渡されているシャツとエプロンを外し、
客足の途絶えた店内のテーブルに、
自分で温めなおし、たっぷりとよそった食事たちを運ぶ。
今日もよく働いた、と満足してそれらに手をつけようとした時だ。
からん。
店のドアの開く音が聞こえた。
カッチリとした、先ほどまで店をうめつくしていた男たちと似たような服装をした、20代の半ばほどの女がいた。

もう閉店の時間です、と言いそうになったが
時計を見れば、まだ閉店まで少し時間がある。
自分もキッチンに戻ったほうがいいかとオーナーに視線を送ってみると
オーナーは静かに首を振った。
一度外したエプロンを再びつけるのは正直億劫だったので、
ぺこりと会釈して感謝を伝えると、スーはそのまま食事に手を伸ばした。
ただ食らいなだけで、今の自分はもはや店員ではないのだ、と言い聞かせて
客のことは極力気にしないようにして過ごすことに決めた。

けれどカウンターにつくなり
「何かすぐに酔えるもの……ううん、とりあえず一番強いヤツお願い」
と固い声で女が注文するのが聞こえてしまって、
つい、ちらりと視線を送ってしまった。
この店で夜の時間に出している酒は、
どれも基本的に、1杯でも酔える程度の強さのあるものばかりだ。
一番強いもの、なんて頼んでしまったら
そのまま倒れてしまうのではないかと思われた。
そんなことになったら、
介抱やら何やらで、やはり自分もまた店の手伝いに戻らなければならないかもしれない。
そのせいで少し、気がかりになる。
カウンターの内に入ったオーナーもそれを心配し、やんわりと別の酒をすすめたが「いいから」と言って女は聞き入れない。

そして
(あー……)
根の真面目なオーナーは、女に言われた通り、一番強い酒を
水や果汁や炭酸といったもので割ることもなく、出した。
少しだけ多めの氷に浸してはいるが
女はその氷が僅かも溶けることのないまま、一息に飲み干した。
コン、と音をさせて手のひらの半分もないサイズのグラスを置くと
「同じやつ。今度は氷はいらないわ」
女は再び注文した。

オーナーが苦笑しながらそれを受けた瞬間、女が振り返った。
後ろから様子を眺めていたスーと視線があう。

「1人? 一緒に飲まない? ちょっとつきあってよ」

嫌だ、と思った。
けれど女はスーの返事など聞くこともなく、
オーナーに出されたグラスを持ったまま、カウンターを離れスーのテーブルにやってきてしまった。

「彼にも同じものを。……わたしにも、もう1つ」

立ったままグラスの中身を、また一息で飲み干した女が言うのを聞いて、
あわててスーは「いやいやいや」と否定の言葉を口にする。

「飲まないの? 奢るわよ?」

あれだけ強い酒を、あっという間に2杯も干している割に、
女の顔つきにも口調にも、酔っぱらったところは見られない。
しかし、目が据わっていた。
とても苛立っている。
それがわかってしまって、スーは少し気後れした。

「お兄さん、暇そうじゃない。話し相手になってよ」

言って女は、スーの正面の席についた。
やっぱり嫌だ、と思ったが
女の静かな気迫のようなものに押されて、どうにも断れない。

「……じゃあ、」

仕方がなく、スーは別の酒をオーダーする。
苦みが強いが、果実につけているせいで甘い香りのついている酒をソーダで割って、そこにミントの葉を散らしたものだ。

「じゃあ、わたしもそれを。さっきのと両方お願い」

女が言って、オーナーが少し心配そうな顔をしてそれを受けた。

「……あ、気にしないであなたは食べてて」

どうしたものかと考え、フォークの手が止まっていたスーに女が言う。
どうにもならなそうなので、言われるままに従った。
ジャケットのポケットから女が煙草を取り出す。
視線で許可を求められ、スーは頷いた。
差し出されもしたが、それは断った。
スーは煙草は吸わない。幼い頃には、周囲の環境がそうだったので自分も吸っていたし、
大人になってから再び試してみたこともあるが、
煙草はスーの体質にはあわないようで、それがわかってからは避けていた。

スーのその顔つきを見て、女は結局、火をつけるのをやめた。
「苦手だったのね。ごめんなさい」
おや、とスーは思う。
店内には、これまでの時間にいた客たちの吸っていた煙草の煙やらにおいやらも残っていたし、
酒の出る店でこのような気遣いをされること自体、珍しい。
随分と強引な女に見えたが、気遣いのできる人物らしいなとスーは考える。
テーブルの端に持っていた空のグラスを、またコン、と音をさせて置いた女を見てスーは言った。

「すげぇイライラしてるみたいだけど。大丈夫?」

「……大丈夫かどうかと言ったら、大丈夫よ。
 でもそうね、とてもイライラはしているわね。
 別に逃げる気もないけれど、全部放り投げてどっか行っちゃいたい気はしてる程度には、煮詰まってるわ」

逃げる、という言葉に反応してしまう。
女の先ほどの様子から、面倒くさいばかりの人間ではないはずだ、と踏んでスーは言った。

「……いいよ、話、聞くよ」

近頃スーは、考える。
自分が逃げているせいで、なぜだか自分の周りには“逃げたい”人間が集まってくる。
今まではそう思っていたけれど、違うのではないのだろうか、と。
自分の周り、視界に入ってくる範囲にいる“逃げたい”人間たちに、
単純に、自分がいちいち反応してしまっているだけなのではないか、とも思うのだ。
自分が敏感でさえなければ気にせず流してしまうだろうその“逃げたい”という言葉やら感情やらを、
いちいち拾ってしまっているから、自分の周りには特別“逃げたい”人間が集まって来ていると錯覚してしまっているだけで、
実際はそんなこともないのではないかと、近頃は思う。
それはつまり、
世の中に暮らす人間の多くが“逃げたい”と考えていて、
“逃げたい”と思うような環境に身を置いている人間がそれほどに多いのだ、という仮定の上でなければ成り立たない推論なので
確信は持てていなかったけれど。

2人分の酒が運ばれて来た。
オーナーが気を使ってくれたのか、野菜を細長くスライスした肴を添えてくれていた。
女は嬉しそうにオーナーに頭を下げた。
作り笑顔だとすぐにわかったが、この店に入って来て、初めて見た表情だ。
オーナーが再びカウンターの奥に入ってしまうと、女は言った。

「今朝、実家の親からね、手紙が来たのよ。
 わたしもそろそろ30の大台も見えてくる年頃なんだから、
 はやく結婚して子どもでもつくりなさいって」

言われて、昼間の女たちを思い浮かべた。
それから目の前の女をあらためて眺めてみる。
スカートではあるが、男たちととてもよく似た服装だ。
長い髪は後ろできつく1つにまとめられていて、
カチッとしたジャケットをまとっている。

「あんた、でも今仕事してるんだろ。それもこんな遅くまで。
 結婚したいの?」

女は少し怒ったような困ったような顔になって言う。

「結婚はね、まぁ、どっちでもいいのよ。
 してもいいとも思うし、しなくてもいいかなとも思ってる。
 子どもは少し欲しいかな。
 本当は1人で産んで育てるのが理想だったのだけれど、
 それがとても難しいことも、さすがにわかってきているし。
 だったら結婚して産むっていうのが、やっぱりいいのかもしれないけれど、
 どうもね、そういう気にもなれなくて。
 ……なのに、あぁ、もうっ!!」

言いながら何かを思い出したらしく、女は目の前のスティック野菜をガリガリとかじった。
兎のように野菜を短くしていく女のその姿を見て、少しおもしろいものを見ているような気持ちにもなる。

「“なのに”どうした?」

だからスーは続きを尋ねる。

「親がね、酷いのよ。
 今までも、結婚しろとかそれで子どもつくれとかってのは、
 散々言われてきたんだけれど、
 今朝届いた手紙に、書類が入ってたのよ」

「書類?」

「婚姻の届け出。
 相手の方にはもう名前も判も記入されてて。
 聞いたこともない名前で、しかも10も年上なのよ!
 なんなの、あれ!」

「それはまた……」

随分と強引なやり口だなと思う。
勝手に書類を出されなかっただけマシだとは思ったが、それは言わないでおく。
旅の間にスーは、自分に片思いしている男に勝手に婚姻の届け出を出されてしまったという女性に出会っている。
その男から身を匿い、同時に書類が正規の手続きで提出されたものでないことを証明する手伝いを、スーは行ったことがあった。
あれは、非常に面倒だった。
女性の親族や友人らの理解を得て、協力をあおげたこともあり事なきを得、
男の方には女性への接近禁止の命令が出て、
不本意ながら女性も住居を別の場にうつしたため身の安全を、とりあえずは確保することができたが
世の中にはとんでもない人間もいたものだと思ったものだ。

それと、似たようなことを両親にされるというのは
さぞやストレスもでかいだろう。

ため息をついて女は言った。

「わたしたちの親の世代だったらね、それも当たり前だったのだろうけれど、
 もう、そういう時代じゃないのよ。
 あの人たちはそれがわかってないんだわ」

「え、そうなのか?」

驚いて言ったスーに、女も驚いたような視線を送る。

「そうでしょ?
 あなたのご両親とか、親戚にそういう人はいない?」

スーは首を振る。
自分の両親は、家を出た当時はよくはわかっていなかったが不仲で、
父親は自分が幼い頃に家を出て行ってしまっている。
けれど家の中には、たしかに2人がかつては恋愛を楽しんでいたのだと思えるだけの品々も多く有ったように記憶している。

「……あぁ、国が違うからかもしれないな。
 オレのいた国では、そんな無理に結婚して子どもつくるべきだみたいなのは、
 とりあえずオレが覚えてる限りではなかったな」

へぇ、と女が目を大きくした。

スーが暮らしていた国は、結婚や子どもを産むということに対しては
この国に比べ、随分と自由だった。
生涯結婚しない者たちも多くいたし、
伴侶を持たないままでも子を産み育てる人間も多かった。
仕組みは脆弱だったが、そうした文化があった。
何かしらの支援から外れるようなことがあっても、大抵の場合をのぞけば
どこかしら、何かしら、誰かしらがそのための手段を提供していることが多かった。
一方で、その文化の枠からも外れてしまった人間にはたいそう厳しい国でもあったが。

昼間の女たちのように、“外”での仕事と家事や育児との両立が難しくなるような環境もほとんどなかったように記憶している。
裕福な家で生まれ、その後の数年は路上で暮らし、
そのさらに後、旅に出るまではまた別の暮らしに身を置いたが
どの環境でもそうだったのだから、
貧富や地域差による違いも、結婚や子育てといった点ではそれほど大きくはなかったはずだと思う。

「いいわねぇ。わたしもあなたの国で生まれたかったわ。
 そうしたら、今みたいに女に生まれたこと後悔しなくてすんだかもしれない」

どきりとした。
女に生まれたことを後悔する、という、その感覚がわからなかった。
自分の考えたこともなかった思考だ。

ただ、と思い直す部分もある。

「あの国にはあの国で、不便もある。
 あの国は、貧富の差が激しい。
 路上で暮らす人間もこっちの国よりも多くいたしな。
 西側は特に貧しかったし、北の方は作物も育てるのが難しいほどに枯れていた。
 都には技術が集まっていたが、離れるにつれ、手つかずの土地も多くあった。
 手紙を送るのさえ、未だに鳥を使っているような地域もあるんだ。
 都が美しい分、吹きだまりみたいな街も各地にあったし、
 都やその周辺や、そうでなくても国の認可のない仕事では
 満足に稼ぐことも難しかっただろうし、国の認可なんてそう簡単には得られない。
 そのくせ、管理社会だったからな。
 戸籍つくらなきゃなんもできないのに、戸籍も持ってない人間も多くいたよ」

「え、なに、それ?
 戸籍ないって、そうしてそんなことになるのよ?
 戸籍なくってどうやって仕事したりするの?」

「戸籍なくす理由はいろいろだよ。
 売られた人間だったり、何かして消されたり、自分で消したり。
 人売るって、こっちではほとんどないだろ。
 向こうは、少し前までけっこうあったんだよ、そういうの。
 戸籍売るってのもあったな。
 ……まぁ、死にはしないよ。
 そんなんなくても、できる仕事はたくさんある」

仕事の内容さえ選ばなければ、の話ではあったが、
それは言わなかった。

「それぞれ大変なのねぇ」

女は言った。
そうだ、それぞれだ。
だから「どちらがいい」とか「何が正しい」と言えるような話ではないのだ。
どちらの国にせよ、置かれている属性やら立場やらによって、それぞれ天国にも地獄にも成りうる。
それは変わらない。

「……どこにいても大してかわらないってことかしらね」

「それは、違うと思う」

スーの生まれた国であれ、この国であれ、
そしておそらくは他の国であれ、
「地獄」のような属性に生まれた、もしくは身を置いた人間にとってその場所は地獄でしかない。
それはどの場所でも変わらないのだろうけれど、
そこに身を置いた人間に「だから、どこに行ってもそれなりに同じだから、仕方がないから、諦めろ」というのは違うと、スーは思っている。
できることは、少なくとも、存在していなくはないはずだ。

「とれる手段は、あるだろ。
 変えるか、別の場所に逃げるか。少なくとも、どっちかだ」

変えようとしている人間を知っている。
逃げた人間も知っている。
そのどちらが正しいとも間違っているとも、スーは思ってはいない。
どちらの手段にしても、その人間に必要なものだったのだろう。

「あんたは、どうしたいんだ」

スーも酒を口にしながら、尋ねた。
まっすぐに見すえてくるスーの視線を、
また別の野菜をかじっていた女もまっすぐに見返す。
それから、少し考えたような仕草を見せてから女は言った。

「……わたしね、結婚して子ども産んでる女たちって、
 うまく逃げられてよかったわねって、思っていたのよ。
 結婚すれば親からも周りからも、行き遅れとか言われることもないし、
 子どもを産めば、他に何をしていなくても、子育てしてるからーって言い訳できるじゃない。
 周りの人たちの言う通りにして、文句言われないようにして、
 遊ぶのだってなんだって相手の稼ぎに任せるだけでよくて。
 楽でいいわねって、思ってたの。
 一方で、可哀想な人たちね、とも思ってたのよ。
 相手の稼ぎとか子どものことばっかりの人生で、
 自分で自分のしたい生き方の通りにすることもできなくて。
 楽だけど可哀想な人たちだって、思ってた」

「それは違うだろ。つか、人によるだろ」

そうね、と女は言って笑った。

「彼女たちは彼女たちで大変だってことくらい、わたしだって知ってるの。
 わたしね、妹がいるのよ。妹はもう結婚して、子どももいる。
 あんなに可愛い子どもがいて、稼ぎのことも夫まかせでいいわねって思うけど、
 子どもだって、泣くしわめくし、言葉だって通じないしで、大変そうだし。
 妹の夫も、子どもみたいな人だからね。
 そこが魅力の人でもあるのだけれど、一緒に生活するんじゃ大変だと思う。
 けど、そうして大変な生活が、妹なりの充実の形なのかもしれないとも思うし、
 うちの両親もね、妹にも、やっぱり手紙出してるのよ。
 旦那ばかりに頼ってたらダメだとか、次の孫の顔も見たいとか。
 いいことばかりでも、悪いことばかりでもないわね」

それはそうなのだろうな、とスーは思う。

「結局、八方ふさがりなのよ。
 結婚してもしなくても、子どもがいてもいなくても、この国では。
 でも、やっぱり仕方ないとも思う」

「……もし、あんたが他の国に逃げたいんなら、
 手伝えないこともない、かもしれない」

とりあえず、スーは言ってみる。
席についてからも女性は数杯の酒をオーダーしていたが、
やはり酔った様子も見せない酒豪ぶりで、
小動物の様に野菜を食む目の前の女性に、多少の好感を持ち始めていた。
せっかく生まれてしまった縁なのだから、
できることがあるなら、無理のない範囲で協力してやってもいいと、スーは考えていた。
けれど女は首を振った。

「ううん、いいの。
 もしかしたらあなたの生まれた国か、また別の国かに行ったら、
 今よりも楽になるのかもしれないけれど、話をしていて、わかったの。
 これまでなんとかふんばって、やっと今の生活を手に入れたのよ。
 しがみつく程の仕事じゃないかもしれないけれど、
 それでも、時々はやっててよかったーって思えるくらいには、
 今の仕事のことも気に入っているし、
 それを全部捨てるのはもったいないって、その気持ちの方が強いのよ。
 そこまでして逃げようとは、わたしには思えない。
 ……だからわたしは、今いる場所のままで、今のまま逃げてみようと思う」

「……どういう意味?」

「結局、環境をガラっと変えようと自分が思えない以上、
 もうかわしていくしかないのかな、と思ったのよね。
 かわして、逃げて、ともかくはそうやって行こうかなって」

結婚しなければ、子どもを持たなければ、周囲の言うことは変わらない。
けれど結婚して子どもを得たとしても、周囲のプレッシャーは変わらないかもしれない。
だからかわすのだ、と女は言う。

「どうせ何やってもやらなくても、周りは何か言ってくるのよ。
 だったら、言わせておくしかないわよね、もう。
 言いたいだけ言わせておいて、
 でもわたしは、このままかわし続ける。
 あなたは、変えるか別の場所に逃げるか、と言ったけれど、
 変えなくても身を隠さなくても、逃げる方法はあるのよね、って、思い出したの」

「かわすのって、いや、でも大変じゃないか?
 できるのか?
 もつのか? あんたのその、気持ちみたいなもんは。
 それは、難しいんじゃないのか?」

女は笑って言う。

「難しいわよ。でも、思えばそうやって生きて来たのよね。
 これまでだって、ずっとそう。
 こういう風に生きるべし、みたいに言われてる生き方が難しいと思ってる女は、わたしだけじゃなくて。
 きっとみんなそうなのよ。
 女体でやってくのって、なかなか体力いるのよ?」

「男だって、楽なばっかじゃないぞ」

「それは、そうかもしれないわね。……いえ、ええ、そうなのでしょうね。
 そうしたら、みんな、誰でもがそうなのかもしれない。
 逃げ場所なんて、都合いいところにはないのね。
 結婚しなきゃしないで文句言われて、
 したらしたで、また無理難題みたいなこと言われて、囲い込まれていく。
 だから決めたの。わたしは、逃げるけど、逃げない。
 何やっても文句言われるなら、
 気にして削られるだけ無駄だって、あらためてわかった。
 ふんばったってどうせ削られるけど、気持ちだけ、逃がすことにした。
 で、私は私がやりたいようにやっていくの。その選択からだけは逃げない」

「それじゃ、何も変わらないだろう。
 今いる場所から逃げないなら、変えようって、思わないのか」

言ってから、責めているように聞こえてしまっていたらイヤだなと考えた。
スーにその意図はないけれど、聞きようによっては
そうとらえられてしまっても仕方のない言い方だった。
けれど女は、笑顔のまま言った。

「……そうね、私がこのままじゃ、状況なんて変わらないわね。
 わたしだって、ただ今までいたわけじゃないの。
 変えたいと思ったことはいっぱいあったし、変えようと思って動いても来た。
 でも、変わらなかったのよ。
 わたしは少し疲れてしまったし、もう、わたし1人の力ではそれは無理なんだって、わかってもきてしまった。
 ……それでも、ねぇ、
 私が私の満足するように生きたら、また別の誰かが満足して生きる、
 そのちっちゃな道筋くらいにはなるかもしれないじゃない。
 もっとでっかな道つくるのは、残念ながら私には無理。
 これはだからね、そういう意味での逃げでもあるわね」

皿に残っている最後の野菜をまた齧りながら女は言う。

「でももし、これから先にそういう……
 何かを変えたいって言って、動いている誰かが現れたら、
 その時はまた私も、戦えるかもしれない。
 他力本願で申し訳ないけれど、これが今の私の精一杯だわ」

そうか、としかスーには言えなかった。
女の考え方が正しいのかどうなのか、スーにはわからない。
けれど間違っているとは言えない。言いたくないとも思った。

野菜を齧り終えてしまうと、女は手を挙げた。
そして「お会計お願い」と声をはる。

オーナーが伝票を持って来て、
決して安くはないはずのそれを、女は余裕を持って支払った。

「聞いてくれてありがとう。少し、気が楽になったわ」

じゃあね、と今度はスーに向けて手をあげて言う女に
何もしてないけどな、と思いながらスーも手を挙げて答える。
からん、と軽いドアの音を残して、女は去った。

「……」

テーブルの上のスーの料理はすっかり冷めてしまっていたし、
本当に、何もできなかったのだけれど
悪くない気分だった。


翌日、昼過ぎの店内にまた、前日の子連れの女がやって来た。
今日は子どもを抱えているだけで、1人だ。相手の女はいない。
少し前から席についているけれど、
待ち合わせをしているようでまだオーダーは入っていなかった。

からん、とドアの開く音がしてスーがそちらに目をやると、
今度は前夜の、あの酒の強い女が入って来た。
今日は前夜よりも、動きやすそうなひらひらとした服装をしている。
服装1つで随分と印象が変わるのだな、と思った。

「お姉ちゃん!」

子連れの女が言った。酒豪の女がそちらを見て笑顔になった。

「……」

2人は、姉妹だったようだ。
顔も体つきもまったく似ていなくて、わからなかった。

前日、2人がそれぞれ話していた内容を思い出して
おかしいような、同時にどこかぞっとするような感覚になる。

「ごめん、少し待たせたわね」

「お姉ちゃん、相変わらず仕事忙しいんでしょ。
 休みはとれてる?
 近くに住んでるのに、会うの久しぶりだね」

酒の残っているせいで少し胃が重いスーとは違い、
姉の方からはそんな様子は微塵も感じられない。
2人は、冷たいソーダを果汁で割ったものと、幼い子どもでも飲めるジュースとをオーダーした。

「ちゃんとご飯食べてる?
 元気にしてた?」

子どもをあやしながらの妹の言葉に、姉は笑顔で頷いた。

「まぁ、なんとかね。元気にしてるわよ。
 あんたは?」

「わたしも、そうね、なんとか。元気にやってるよ」

答えた妹も笑顔だった。
聞いているのが少し苦しいほどの溢れるような愚痴を抱えて、
隠したまま、彼女たちは笑っていた。

「女性はおそろしいな」

カウンターのオーナーが言った。
スーは、いっそ清々しいと思った。
息苦しい思いを抱えて、それでも笑う彼女達の姿はしなやかだ。
それに、誰だってそんなものだとも思う。
綺麗な言葉では飾れない何かの想いを、それぞれに持っていたりする。
誰だって、自分だって、おそらくは。
それを、外に出すか出さないか、
誰かや何かにぶつけるかぶつけないか、
状況を変えるか、逃げるか、かわすか、
もしくは、人によっては
ないものであるかのように、見えていないフリをするか。
それらが違うだけだ。
それは大きな違いなのだけれど、
けれど根本はきっと、誰でも。

姉妹は、キッチンの奥にいるスーの姿には気づかない。
楽しそうに子どもをあやす2人の姿は楽しそうで、まぶしいほどだった。


会話を弾ませている2人を見ながら、思う。
そろそろ、この街を出よう。
また旅に出られるぐらいには金もたまった。

そうしてスーは
また、逃げるための旅路についたのだった。



(to be continued...)



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comment

  1. 2012/08/15(水) 22:28:17 |
  2. URL |
  3. ゆさ
  4. [ 編集 ]
春さぁーーん先日は本当にありがとうございました☆
わたしこそ憧れの春さんにお会いできてお話できて、すっっごく楽しかったです!(笑)
もうホント春さんは素敵でした…オシャレで頭が良くて…あばばばばb(大混乱)
そのうちまたお話会やりましょう☆シャチさんにもくれぐれもよろしくお伝えくださいませ><

「逃げる」シリーズもハラハラしながら読んでいます。
何かが起きそうで起きない、ギリギリのような瀬戸際のようなところが
読んでいて手に汗握ります~。
スーの隣で身の上を語る人たちも、語らない人たちも、お店に来ている人もオーナーも、店の外を歩く人たちも
言いたいことや言いたくないことを、何か変えたい気持ちや変えたくない気持ちを、抱えているんだろうなぁ。
何かが起こるときって、突然のような感じしますけど、実際はものすごいエネルギーが作用していることもありますよね。
スーの気持ちも、とっても、気になります…!

あ、なんか、この流れで言うのも何ですが
「あの人にも同じものを」っていうセリフ、
生きてる間に一回は言えたら…!とか、密かに思ってたりします(笑)。
ってかまず、そういうお店に行ける度胸をつけないとf(^ ^;)

Re: ゆささん

  1. 2012/08/16(木) 22:24:30 |
  2. URL |
  3. 花舞小枝の春
  4. [ 編集 ]
ゆささん、こんばんは!!

もうもうもう、本当に!!
ありがとうございました*><*!!

ぜひ、今度はハワイアンも楽しみましょう〜〜〜*^^*
またお声かけさせてください!
シャチからは
「ゆささんはカラオケもイケル口らしいから、次はカラオケも! てお伝えください・v・」
と承っております。
……ぜひ・v・!

> 「逃げる」シリーズ

わぅ〜ありがとうございます。
こんなに書きにくい話は久しぶり、というくらい
なんだか書き難い話になってくれちゃって……
……全5話なので、もうすぐ終わっちゃうけど^^;

読んで頂けて嬉しいです。

スー(下手な偽名)にはカタをつけさせたかったので、
やっと、という感じです。

> 「あの人にも同じものを」

言ってみたいですね!!
でも言った瞬間に恥ずかしくなっちゃいそう。
もしくは「あの人にb…」とか、噛みそう。

まずは自分のオーダーをカッコよく通せるようになりたいです^^;

コメント、ありがとうございました☆☆

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